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「ありふれた奇跡」山田太一脚本。 テレビ画面に浮かび上がったこのタイトルロールを見た時、私の期待は確信へと変わった。心の臓がわくわくと高鳴り、瞼の奥でスローモーションで空に投げ上げられる真っ赤な林檎が二重写しになる。 フジテレビ開局50周年記念ドラマ、と銘打って、長きに渡る沈黙を破った山田氏のオリジナル脚本になるテレビドラマである。 制作発表の席で山田氏は、これが最後のテレビドラマ脚本になる、というような話をされていた。それは現在の危機的なテレビドラマの現状に対する氏の絶望感と、そして「書くこと」がどれ程身を削る作業であるかを物語り、それだけ全身全霊を賭けて書いているのだ、というような覚悟と凄みのようなものを感じた。 最近の各局の連続ドラマを見ると、オリジナル脚本は少なく安易と思える原作もの、それも漫画が多い。小説は登場人物にある程度読むものの想像力の介入する余地があるが、漫画は台詞プラス画、いわゆる絵コンテまであるのだからその余地は少ない。故にドラマ化するのには完成型が非常にイメージがし易く、企画書も通りやすいというものだろう。プロットすら必要がないのかも知れない。 翻って「ありふれた奇跡」。 最近はBGM程度のながら見しかしないドラマが多かったが、これは雑事を全て終わらせてテレビと正面から向き合って観た。何となくそうしなければならないような心地よい緊張感が画面から漂ってくるのだ。 山田脚本の登場人物は、ごく普通の市井の人々が多い。そして登場人物一人一人がそれぞれの人生を背負っているということが決して饒舌ではない台詞と役者の動きで伝わってくるのだ。だからこちらの心も揺れる。今日は第一回放送のため、登場人物の紹介という目的からか、主役の仲間由紀恵さん、加瀬亮さん以外の台詞はそれぞれ少ない。しかしその少ない台詞の中で役柄の人生が垣間見えたのには震えた。 特に私の大好きなキムラ緑子さんの登場シーンはたった1シーンで、風間杜夫さんと交わす2つ3つの台詞であるのだが、それだけで彼女の演じるその「女」の人生を想像するには十分であった。彼女の身体には切ないくらいのやさぐれたようなおんなの匂いがまとわりついているのである。 かつて私の脚本の師が語っていた。 「映画は監督、舞台は役者、ドラマは脚本」。 まさに、である。脚本によってこうも役者に魂が入るものかと驚かされた。 先日放送が終了した倉本聡氏の「風のガーデン」そしてこの「ありふれた奇跡」。ドラマが与えてくれる力を思い出させてくれた。 そして彼らが去ったあと、これからのテレビドラマに果たして未来は見えるのだろうか。 |
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